2月9日(日曜日)、午後1時30分から16時までの約2時間、エコトーク及びエコトーク映画会『プラスチック・チャイナ』(塑料王国)を観てきました。

 

ちえりあホール前のリサイクルプラザ主催による展示
 

 

まずは、前半は、エコトーク「待ったなしプラスチックゴミ問題」というテーマにてその専門家の中井八千代さんという方が現在のプラスチックのゴミ問題についてことでお話をいただきました。

特に印象に残っているのは、ただ無雑作に捨てられたペットボトル等のゴミが川に流れつき、さらに海に行くと、その間にプラスチックが粉々になって、やがてマイクロプラスチック(5ミリ以下のプラスチック片)になります。

それが、海底に蓄積して、それが汚染物質と反応することにより、それを魚を食べることによって、その体内に蓄積されます。

最終的には、人間が食べることによって健康へのの悪環境が懸念されるとのことでした。

映画プラスチックチャイナについて 

 

この映画は2016年制作発表ということになっていますが、この映画では、携帯電話とか液晶テレビが出てくるんですがその様子からするとおそらく2005年から2010年ぐらいの間でないかと思われます

ただ中国が先進国の廃棄プラスチックを引き受けるようになったのは2005年からですから、スマホが本格的に庶民に普及するのは2010年からなのでその間と思われます。

でも、その映画の描かれている場所がいち早く近代化した沿岸部ではなく、それにとりのこされた中国内陸部(四川省)であることを考えると それ以降なのかもしれません。

 

まずこの映画の背景は中国内陸部にあたる四川省近くのプラスチック再処理工場です。

そして、この映画に登場してくるのは、再処理工場の経営者の家族とその経営者に雇われている家族たちです。

その2組の家族が織りなす人間模様が描かれています。

 

※四川省というと首都が成都で、古くは、三国志でいうと劉備玄徳や関羽などが放浪の果てにたどり着いた中国内陸部の最果ての地です。

ちなみに、劉備に仕えていた、孔明の考えにより、その土地の領主から土地を奪って「蜀」を建国、魏呉蜀の三国時代が始まります。

 

話は戻りますが、その再処理工場はとても小さく、家の中に工場設備と家族たちが住むところと、家の中も含めてすぐそばに、プラスティックゴミが散乱し、山のようになっている状態です。

 

日本では、自宅内にゴミを歩けない程に溜めて、やがて、それが悪臭を放ち、ついには、ゴミ屋敷と化していて、近所から苦情が出ているとのニューズ報道がありました。

そして、行政からゴミの撤去を迫られているということが起こっていますが、このプラスティック工場の状況は、 それとは比較にならない程の壮絶な状況です。

それが、再処理工場がその村に一か所だけあるならまだいいのですが、この映画では、村の至るところに存在しているようです。

その経営者とその使用人とその家族の詳しい状況

①経営者とその家族

その再処理工場の経営者(見た目30代:若くて健康的)は、経営者がもともと農家だったが、母親が足が不自由になったという事で、農家を辞めて、この地に移り住み、仕方なく、生活のために、この仕事をしているということです

その映画の中で「俺は元農家だから他にこれしかやれることはない」と捨てセリフを吐く場面が印象に残っています。

そんな農家という家業を捨ててまで、経営しているプラスチックの再処理工場でさえ、

「今後、電気代が高くなるようだ」

「その上、税金も払わなければならない」

あまり儲からないとボヤいている場面がありました。

これからの再処理工場の経営に不安を覗かせていました。

②その工場で住み込みでは働く使用人とその家族

その工場に労働者として従事している使用人の男(見た目40代後半:とてもやつれている)には、工賃として、1日6ドルしか払われていません。

それなのに、その奥さんと4人の子供たちがいます。

ちなみに、この工場には、もう4年間もこの仕事に従事しているということです。

その使用人の男は学校に行ったことがなく、この工場で働くしかないので 、仕方なくここで家族で住み込みで働いているようです。

この過酷な労働環境のため、使用人の男は酒びたりで、おまけにタバコも吸っています。

ですから、家族の食事代すらままならない状況です。

やがて、その男が経営者の男に対して、賃金を上げてくれと喧嘩をする場面が出てきます。

それに対して、経営者の男が「これで不満だったら、出ていけ」とやり返します。

それとは対照的に、その使用人の子供四人は、その経営者の子供たちと一緒に、分け隔てなく、そのゴミ処理場のゴミの中で走り回って、とても元気にこの映画では描かれています。

こどもたちの中では、親どうしの労使の隔てがないというのが、せめてもの救いです。

このような今の日本では考えられないような壮絶な環境でも元気に?育つ子供たち

この映画に出てくるゴミはプラスティックの類だけではありません。

きちんと分別されていないためか、外国語(主に英語で書かれたものがこの映画では出てくる)で書かれたチラシや新聞、プラスティックで作られた人形・おもちゃなんかも含まれます。

その子供達の遊びといえば、遊ぶためのオモチャを買ってもらう余裕がないため、そのプラスチックゴミの中からプラスチックに描かれている靴やチラシなどを取り出して、それを見たり、切り取ったりして、遊びの道具として使っています。

この映画のシーンでは、寒い季節になると、プラスチックゴミで作ったマント状の衣服を作り、それを着て走り回っていました。

この映画に出てくるプラスティックゴミに混じって入っていたチラシや新聞広告は、ほとんど英語で記述されたものでした。

ですが、一回だけ日本語で書いてあるチラシがこの映画の中に出てくるのですが、 確かに、この中国の内陸部である四川省にも遠い国である日本のゴミが来ているのだなとその時、思いました。

観終わった後に、思い返せば、プラスティックゴミが、言いようもない悪臭を放っていて、とても耐えられないと使用人の男が言っている場面がありました。

私たちが、ゴミを出す前に、出来るだけきれいに洗って、きちんと「分別」して出していれば、このようなゴミはプラスティックゴミに含まれているはずはなく、そんな悪臭を放つはずもないのですが、 私たちが日頃、ゴミをきちんと分別して出さないために、ついには、この中国の子供たちにまで影響を及ぼしているのだなと その時思いました。

私は日本が中国に対して、そのプラスチックゴミに対してのある種の環境悪化の責任の一端があると痛感しました。

なによりも、この映画を見始めてから、終わるまで、ずっと私はプラスチックのゴミの中で生活している子供たちの健康が心配でなりませんでした。

特にこの映画で印象に残った2つの場面

①近くの川?(しかし、この映画では、どこかに流れているような様子はなく、水たまりに近い)ところで、子供たちが遊びながら、浮いている死んだ魚を取って、赤いプラスチックのたらいの中で洗い、魚を油で揚げて家族で夕食にして食べている姿でした。

食事代さえままならない状況の中ですので、仕方なくとのことです。

でも、今の日本人は、万が一このような状況に追い込まれた時、川に浮いていた死んだ魚を食べたりするでしょうか。

ほんのちょっとの考えや知識があれば、どんなに飢えていようとも、いかにも害を及ぼすような「死んでいる魚」を食べるということに、至ることはないように思います。

私が思うに、その使用人とその家族たちは、学校にさえ行っていないので、そのことにさえ考えが至らないのだと思います。

ちなみに、日本では、コンビニエンスストアなどでは、捨てられるような期限切れの弁当が大量にありますから、行くところに行けば、食べ物を買うお金がなくても、飢えをしのぐことはできると思います。

日本及びその先進国では、食べ物のかなりの部分が産業廃棄物として捨てられていますが、一方では、中国などの発展途上国では、その日の食事もままならないという悲しい現実に突き当たります。

②使用人の奥さんのお産のシーンがありました。ですが、日本のように病院に行くということもなく、産婆さんが見守りながらということもありません。

経営者の奥さんが出産の手助けにきて、使用人の家族が見守る中、プラスチックのたらいに水を張って、それだけで、お産をしているというシーンがありました。

いかにも、大変そうだったのですが、 私が気になったのは、この出産は、子供5人目だということです。

もうすでに、その家族の父親は工賃が1日6ドルでおまけに奥さんもいて子供も四人もいるということです。

当時の中国四川省付近の物価水準は詳しくはわかりませんが、普通に考えて、本当に、5人目の子供は、育てられるのでしょうか。

使用人の子供たちとっては、わずかながら、学校に通える可能性があったかもしれませんが、経済的に、それすらできなくなるということです。

それとなく、避妊用具さえ買えないという経済的な事情が見えてきます。

それを考えると、日本では、このような経済事情を考えると、子供好きの親であっても、「作りたくても作れない」ということになると思います。

なかには、子供を持つと自分たちが休みの時に遊びに出かける経済的な余裕がなくなるために子供は作らないなどという人たちも少なからずいるようです。

 

私の日本人の知り合いに、漢字が読めず、ひらがなしか読めないので、本は漫画ばっかりだという人がいますが、それでもかなり苦労しているようです。

中国語は漢字のみで書かれていますので、その子供たちはつまり 文盲になってしまういうことです。

それを考えるとこの子供たちの将来に暗澹たるものを感じてなりませんでした。

こんな状況のなかでもわずかばかりの光明が・・・

その後に経営者がパソコンのインターネットを使って投資をして、2200ドル損したというシーンがありました。

きっと、株か不動産かなんかに投資したのでしょう。

でもそれでも、その映画の一番最後に家族のために念願のマイカーを買って、車で、北京(天安門広場)に行くというシーンがありました

それとは対照的に、経営者家族が車で北京に行くという場面の前に、使用人男(父親)と子供2人、合計3人で、鉄道にて、北京まで行こうとする場面があります。

駅の乗車券売り場にて、運賃を尋ねると、売り場の人から、「北京まで82ドルです」という返事を聞いて、 その父親が「ちょっとお金が足りないので」ということで北京に行くのを断念するというシーンととても対照的でした 。

この映画の最後の方で、経営者(若い、とても健康的な感じ)が、上半身裸になり、お腹を指さして、「ここに腫瘍が3つもできてしまっている」と奥さんに話しかける場面があるのですが、それに対して、奥さんは「早く病院にいってきたら」と言うのですが、「もしこれが重大な病気だったら、ここの生活はどうなるんだ」と病院にいくことを拒む場面が印象的でありました。

 

その後、経営者が使用人の子供(8歳くらい)女の子(映画のポスターに出ている女の子)に、 その女の子が学校にも通えず、あまりに不憫なせいか「学校に行かせてやってもいいがどうだ」と持ちかけたのが唯一の希望でありました 。

しかしながらその一度も学校に行ったことがない父親が、その子が学校に行くのを反対して、結局はいかないまま映画終わってしまっています。

その後、その女の子が、大人になったら、仕事について、その兄弟やその親に経済的な手助けをしたいと健気に話している場面が印象に残っています。

でも、学校にいかないで、文字も読めず、「文盲」のままで、大人なったとして、その兄弟やその親に経済的な手助けをしてあげられるような仕事に就けるのでしょうか。

でも、この映画でその女の子のその後は描かれていませんが、幸い学校に通えることになったのかもしれません。

その女の子がはつらつとしててあまりに可愛かったので、その女の子がその後どうなったかということがとても気になります。